おうちのねっこ

飯塚市内野に移住。内野の地域に魅せられ、小規模小学校の児童PRの活動や、日々の暮らし、長野おばあちゃんとの手仕事などを綴っています。

やっぱり内野が好きだ。

ブログをさぼり気味でした(^-^;
最近、すぐ眠くなり、パソコンから遠のいていました。

 

さて、
何事もなく、過ぎたので投稿してもいいかな。
4月初旬、うっちーの。メンバー家族でBBQしましたー。
人数かぞえてないけど、30人はいたんじゃないかな?

私が言い出しっぺ。
飯塚市の動画コンテストで大賞を頂いて
その副賞として3万円相当のお肉を頂いたので、
「BBQしよー!」ってなって( *´艸`)

 

その動画がこれ。
飯塚市のすきなものっていうか、内野だけだけど(笑)


www.youtube.com

 

うっちーの。のメンバーがいたから
これまで、イベントがやってこれたし、
いろいろやってみようって思えた。

 

子どもたちも初めから内野に住んでたかのように馴染んでる。

誰の子どもとか関係なく声かけるし、心配するし、
誰のお母さんとかお父さんとか関係なく懐いてる。

このメンバーがそうさせるのか
内野がそうさせるのかわからないけど
本当にありがたい。

やっぱり私は内野が好きだ。

子育ての環境に悩んでる人は一度来て欲しいな。

 

#飯塚市 #内野 #田舎移住 #子育て #環境 #コミュニティ #動画コンテスト #BBQ  

初めてづくしの小学校。

下の子が小学校に入学して1週間。

今年は同級生が9人。
ここ最近にしてはかなり多い方(笑)
地元は我が家ともう1軒だけで
(うちも元校区外ですが)
あとは校区外からと、
本当にありがたい。

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「行ってきまーす!」
と大きな声で玄関を出て、
振り返りもせず、

近所のお姉ちゃんお兄ちゃんに囲まれて
楽しそうに歩く姿をみると
こっちが嬉しくなります。

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毎日のように
「今日ねー、誰誰ちゃんとねー鬼ごっこしてねー」とか
「今日はねー、みんなの好きなものを聞いたー」とか。

みんなの名前を憶えて
初めての給食も食べて。

人って、「初めてのこと」ってこんなにって楽しいんだ。

 

小学校に入る前は
保育所の方がいい、おもちゃがあるけん」とか
「小学校のお勉強って何するん?」とか
ちょっと不安げだったけど、

保育所と小学校どっちが楽しい?」って
きいたら
「小学校!」と即答でした( *´艸`)


今はもっと選択肢が広がってるし、
学校が全てじゃない。
でも、
どの環境にいたって
親離れ子離れの時期は来るし、
親では教えられないこと
子ども同士にしかわからないことも
たくさんあると思う。

 

入学式前に
抜けてしまった前歯を見て
「入学式の時、笑ったら恥ずかしい」と
ちょっと、女子感が出てきた?

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畑仕事もよく手伝ってくれる彼女。
好きな食べ物が、なめろうや高菜なのに
学校では「いちご」と答えたという彼女。

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保育所での6年間も長いようで短かったけど
小学校での生活もきっとそうなんだろうな。

この6年間の成長は
大人のそれとは比べものにならない。

この6年間の間に
少しでも早く
小学校でも
みんなの笑顔が見られるように。
みんなが近く触れあえるように。

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#小学校入学 #飯塚市 #少人数 #田舎暮らし #好きなもの #高菜 #なめろう #いちご

想いを行動に変えた。息子の成長。

昨日は延期になっていた
4年生の2分の1成人式と、
5年生の未来予想図発表がありました。

今年は5年生。
今年は泣かずにすみました。

ouchi-no-necco.hatenablog.com

思ったよりハキハキ喋ってた(笑)

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お昼は2人で
近くのカフェ、げんきさんで
スペシャルバーガー!
一口食べて「めっちゃおいしい!」
結構なボリュームでしたが
きれいに食べました。

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その後、
服が小さくなってたり、数がなかったりしたので
買い物へ。(男子って全然言わないからわかんない(^-^;)

家への帰り道。
「オレ、帰ったらゴミ拾いする。」

「え?」

「前から、気になっちょったんよ。でも、6時間授業やったし。」

 

田舎ですが
すぐ前を国道が通っていて
結構ゴミが落ちてまして。

例年なら
年に数回、
地域の活動でゴミ拾いがありましたが
ここ2年はそれもなく。
私も気になってて
昨年、子ども達とゴミ拾いをしました。
それが心に残ってたのかな。

1人ですると言ったけど
風が強かったので
「ゴミ袋持ってー」と言われ、
一緒にすることに。

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すると、
通りかかった近所のお父さんが
「オレもしよっかね。」と
一緒にしてくれました。

「こげん、ゴミ捨てて、大人が全部悪いけのう、
 またするときは声かけり。」
と言ってくれました。

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「ゴミが多いから拾った方がいいな」と
思っていても行動に移さないと
ゴミはなくなりません。

最初は
私がきっかけだったけど、
今回は息子自身が
想い、行動した。
ゴミ袋いっぱいになったら
「袋、取りに帰ってこようか?」と言うので
私が
「もう、遅いし寒いから、次はここからにしよう」と
言いました。

彼の「行動」は今回限りで終わりにはならない。
そして、
自分の「行動」が「他の人の行動を変えることもある」
ということを実感できたんじゃないかな。


未来予想図では
「将来の夢はまだ決まってません。」って言ってた。

「将来の夢」=「職業」
なのかもしれないけど、
そんなのまだ、決まってなくていい。
今、自分が想うこと、できることを
やっていたら
きっと、
自分のやりたいことにたどり着くはず。

次は6年生。
人数が少ない分、
役割が多く、
頼られることが多くなってきたけど、
ここ最近、
何だか成長したなと感じます。

あなたの未来が楽しみです。


後日談:

今日は担任の先生が退職ということで
お別れのお手紙を読むのを任されてたけど
        (昨日、必死に書いてた)
最初の「○○先生へ」のとこで
大号泣し、お友達に代わってもらったそう。
容易に想像できるのがおもしろい( *´艸`)

頼もしい1年生。

天気が怪しかったので
朝からじゃがいも植え。

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下の子しかついて来てくれない(^-^;
私が穴をあけて
下の子がじゃがいもを入れて土をかぶせる。

1人じゃもっと時間がかかったと思う。
今年、1年生。

畑仕事や、季節の仕事を楽しんで
一緒にしてくれる、
頼もしいパートナーです。

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自然に生かされる。

今日は
小児科医 真弓定夫先生のドキュメンタリー映画
観に行きました。

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先生の、
薬や注射に頼らない、自己治癒力を高めるといった内容の本を
持っていたこともあり、先生のことは存じ上げていました。

この上映会は数日前に
知り合いのFacebookにあがっていて
「筑紫野であるんだ!」(近い!)
「その日は休みだ!」
「行きたい!観たい!」という衝動にかられ、
何年も会ってない方だったけど
自分の衝動に押され、
「お久しぶりです、参加したいです」と
連絡させてもらいました。
そして、
別件で連絡してた友達に
「その日はこれ見に行くんだけど、どう?」と
何気なく誘ってみると、
すぐに「行く!」との返事。
というわけで
2人で参加しました。

聞けば
今日で観るのは3回目とのこと。
「えー!大丈夫やったん?」と聞くと、
「何回でも観たいから」という彼女。

でも、その理由がよくわかりました。

 

人間は人間である前に「ヒト」という動物であること。
人間だけが特別じゃない、自然に生かされているということ。

「四里四方に病なし」(四里とは16kmのことで、これは自分の身の回りで取れる食材を食べていれば、病気知らずで健康でられるということ)

食を変えれば体も変わる。心も変わる。

子どもは口で言ってもわからない。大人がやって見せれば自然とわかる。
子どもの力を信じる。

精一杯楽しんで生きる。

自分の体に対する向き合い方。
子育てに対する考え方。
本当にいいお産とは。などなど、

本当に
いろんなことが繋がっているんだなと思いました。
自分自身のこと
子どものことを
もう一度見直す、きっかけになりました。

そして、
昼からは畑へ。
おばあちゃんが植えてる高菜の間に
たくさんの雑草が生えていました。

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雑草は本当に強い。
しっかり根を張り、抜いてもきっとまた生えてくる。
お話を聞いたあとだったので
この目の前にある生命力に満ちたものを
取ることに躊躇する自分がいました(笑)

 

でも、
きっと人間も植物も一緒で、
何も手を加えてないものの方が
しっかりと根を張り、強く育つんじゃないかなと思いました。

草取りをしながら
「まだまだ、子どもに手をかけすぎてないかな
 口をだしすぎてないかな」
と考えてました。

1時間ほどしか作業はしてませんが
それでも、2mも進んでない私。
「自然」に笑われているような気がしました(^-^;

「命」を考える。

先週、夫の兄が亡くなりました。
46歳でした。

去年9月頃、
脳梗塞で倒れ入院し、12月に退院。
糖尿病も患っていたため透析にも通っていたそうです。
その透析中に心肺停止。
その日に亡くなりました。
独身だったので
病院でのことで
不幸中の幸いだったと思います。

埼玉在住のため、
次の日には、夫が義母を連れて
埼玉へ。

先週の火曜に行って日曜日に帰ってきました。
市役所での手続き
職場での手続き
住まいの引き払い
車の解約処分
通帳の解約 等々。
あちらで
火葬までして帰ってきました。

それに加えて
部屋の荷物のいる物いらない物の仕分けが
大変だったそうです。

2年単位で転勤があるような職場で
開かずのままの段ボールが何箱もあったそうです。

昨年の3月初めに義父が亡くなり
お葬式で久しぶりに会いました。
口数が少なく
私も何度かしか会ったことがないので
ほとんど会話をしたことはありません。

でも、
夫とはお互い、
強めの言葉でも言い合える普通の兄弟のように見えました。


でも、
糖尿病を患っていることも知らなかった。

確かに
私も実家が離れてて
ほとんど会わないので
いちいち報告とかしないけど。

46歳。
私と同い年。

義父の一周忌と義兄の四十九日が重なる。
義母の気持ちを考えると
自分に置き換えると
夫が亡くなって1年も経たず息子も亡くなるなんて。

 

今回のことと
コロナのこともあって
「命」について
ずっと考えてる。


人の寿命なんて
誰にもわからない。
原因がはっきりしているものもあれば
その日が突然来る時もある。

私だって
まだ子どもが小さいのに
「今、死ぬわけにはいかない」。
でも、それもわからない。
死ぬのが怖くないかといったら
ウソになるかもしれないけど
病気だってなんだって
受け入れるしかない、とも思ってる。
きっと、
見送る側の方が
受け入れるのが難しいような気がする。

 

「子どもがいるから頑張れる」
「夫が信頼してくれてるから安心できる」
というのはある。

でも、
「あなたのために」というのは違うのかなと思ってる。
一見、思いやりのように聞こえるけれど
責任逃れというか
「自分はそうは思わなくても」という含みが感じられる。

「私」がそう思ったから
「私」がそうしたいから


子ども達にも
自分軸をしっかり持って
「今」を精一杯生きてほしい。

私も
「今」できること
楽しめることを
精一杯するから。

義父のときも今回も
一番下の子が
「お母さんもいつか死ぬん?」と
聞いてきた。

「みんないつかは死ぬんよ。
 それはいつかわからんけど。
 やけん、今やりたいことやるんよ。」
って答えてる。

でも、
ニコニコしながら聞いてくるのは何でだろう(^-^;

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「茶色の朝」が来ないうちに。

図書館が
1月いっぱい、
システムの入れ替えのため休館だったので
年末、本を借りに行きました。

料理の本なども借りましたが
久しぶりに「読み物」を読みたくて
借りたのがこの3冊。

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茶色の朝
おすすめされてたのを見かけたので借りたもの。

『茶色以外の存在が許されなくなった国』。
飼っていた茶色の犬も安楽死させてしまう。
「決められたことだから」と何の疑問も持たず。
だけど、
「以前、茶色の犬を飼っていた者も逮捕されるという」。
決まったことに従ってれば楽なのかもしれない。
でも、本当のそれでいいのか、
そうしたいのか。
自分で考えることの大切さ。

「生贄探し」

タイトルに魅かれて惹かれて(笑)
何?何?何の話?と思ったら
今の日本のお話。
日本人特有の国民性。
「自分も苦しんでるからお前も苦しめ」
「出る杭は打たれる」
「世間の目を気にする」
などなど。
多少なりとも自分の中にも当てはまることもあり、
だからこそ、
意識しなければいけない。

「あなたにオススメの」

近未来のお話。
いや、こんな近未来は嫌だけど。
子どもをお迎えに行った、
母親は手の甲や耳にはマイクロチップを埋め込み
お迎え記録や会計もスマートに(笑)
「子ども達を”等質化”して育てよう」という政策の下、
小さいうちからメディアに触れさせ、
使いこなせるようになった子どもは
大人の言うことに疑問を持つこともなく
「やるべきこと・言われたことをするだけ」
これらに違和感を持っていた母親も
「これら」に乗らなければ
自分も自分の子どもも生きづらくなるのでは思い、
自らもマイクロチップを埋め込み、
次第にその快適さ、楽さに慣れていく。

 

共通するのは
「自分の気持ちより世間の目」と、
感じました。

その方が楽だから。
何も言われないから。
そう、
考えなくていいから。

意見が違うのは当たり前。
だけど
コロナ禍で
近しい人でさえ
その違いを認め合えなくなった。

決められたことを守らないと
「世間の目」が怖い。

現状を冷静に判断し、
疑問に思ったことは調べる。

自分の行動や思考は自分で決めないと、
小説が
現実になってしまう。

 

茶色の朝」が来ないうちに。