おうちのねっこ

飯塚市内野に移住。内野の地域に魅せられ、小規模小学校の児童PRの活動や、日々の暮らし、長野おばあちゃんとの手仕事などを綴っています。

おばあちゃんのお話。

おばあちゃんと一緒にいたら、

たまに昔の話になります。

その中でも、よく話すのが

戦時中のこと。

 

内野小学校には

兵隊さんが300人くらい来て

 各戸に5人くらいが

お風呂に入りにきたり、

御飯を食べに来てたそうです。

 

自分の家族だけでも

人数が多いのに、

知らない兵隊さんの

お世話もしなければいけない。

 

小学校へ行っても

ほとんど勉強はできんやったよ。

1週間に2~3時間できればいい方よ。

兵隊さんの

服を作るために使う草を集めたり、

畑仕事して、

できたものを売りに行って…

そんなんばっかりしよったよ。

北九州が空襲にあった時は

内野からも

空が真っ赤になるくらいの火が見えたよ。

 

おばあちゃんは6人兄妹の下から2番目。

上のお兄さんとは

一緒に生活することもなく

戦死したという連絡があり、

戻ってきた骨壺の中には

骨などなく石ころが一つ入ってた。

それを見たお母さんが

泣き崩れる姿は

今でも忘れないと。

 

 

お母さんも

おばあちゃんが15歳の時に

腸ねん転であっという間に亡くなった。

お母さんの遺体も

馬がひく荷車に乗せて家まで連れて帰ったそうです。

 

そして

その頃、家には

自分と4歳下の妹と父親しかおらず

家事のすべてを自分がしてた。

 

白いお米は貴重品。

じゃがいもばっかりの料理。

里芋ばっかりの料理。

野草を食べる。

おばあちゃんのおばあちゃんに

教わりながら

工夫しながら作っていたそうです。

 

「15歳」

まだ中学生。

家族のために

家事をしながら

洋裁学校に通った。

妹のときは

戦争も終わり

高校、大学まで行った。

私が産まれた時代が

一番悪かった。

 

それはそれは

私たちの

想像を絶する日々だったと思います。

でも、

その中でも

映画を見に行った話。

内野にサーカスがきた話。

流行りの服を着てオシャレをした話。 

など

おばあちゃんは

昔のことをよく覚えています。

私が

「私、そんなに前の事覚えてないなぁ」って

言うと

「そらぁ、強烈やったもん」って。

 

そうだよね。

死が身近にある時代。

食べ物も着るものも

自分で作るしかない時代。

「生きるため」に生きてた時代。

 

子ども時代に戦争があったなんて。

 

戦争は戦争に行ってる人だけやなくて

待ってる人、

その時代に生きてた人

みんな悲惨やった。と。

 

おばあちゃんの

優しく包み込んでくれる笑顔の奥にある、

言葉や行動から滲み出る

揺るぎない力強さは

そんな時代を生き抜いてきたからこそ

だからだと感じます。

 

最近も話してました。

「コロナコロナ言ってるけど

 自分たちが気をつければいいだけ。

 食べるものもあるし、何に不自由してるわけやない。

 戦時中に比べたら…」

 

 

 

戦時中の話を語る人も少なくなってる。

とても貴重なお話。

子どもに伝えたい

伝えなければならないお話。

 

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